父の葬儀を経験して通夜で感じたこと

もう10年ほど経ってしまいますが、ずっと寝たきりだった父が肺炎で亡くなりました。当時は仕事で離れたところに住んでいたため、命日の夜に連絡を受け翌日車で帰省することとなりました。母は存命で、わたしには兄もいるので通夜や葬儀の段取り等は兄が奔走してくれました。手の離せない仕事があったのですが、そのおかげで通夜当日の朝一旦会社に寄る時間ができ、その後高速を使って向かったのですが4時間強かかるため到着したのは陽が落ちかける夕方でした。

わたしの実家のある地方は大変田舎で、昔ながらの近所づきあいの慣習が残存している地方です。我が実家は建物も古く非常に狭いため、通夜及び葬儀共にその地区の集会場で行うことになっていました。到着した時にはすでに近所の方々がちらほらと集まっておりいろいろと雑用のお手伝いをしてくださっていました。簡単に挨拶をすませながら中へ入るとうちの主立った親族が集まっていました。母に二言三言言葉をかけた後、父の拝顔をすませわたしも雑用のお手伝いをしました。間もなくお坊さんが到着し読経です。亡父へのいろいろな思いを頭に巡らせながらわたしはじっと目を閉じていました。その後、母に代わり兄が弔辞を読み上げたのですが目を潤ませ、ところどころ声を詰まらせながら立派に務めていました後にその兄の弔辞はいろんな方からとても良かったとお褒めの言葉を頂きました。それから遠方で間に合わなかった親戚も次々到着し、交代で火の番でした。あまり沈んでいるのも父も望むまいとも思い、久しぶりに会った親戚たちと思い出話に花を咲かせたりしながら夜を明かしました。通夜などは古い風習で、今は無葬儀の方もいると聞きますが故人を偲ぶ場として、語弊があるかもしれませんが残った人々の心の整理の上でも大切な行事です。